こんにちは。かたやまかずさ(@wataridorich)です。
今朝(5月28日)Numberに掲載された記事
「試合に出られないならやめろ!」スポーツ界でも“毒親”たちの“虐待”が…重圧で「眠れない」と泣く子どもも
を読んで、スポーツ指導者、スポーツをするお子さんをもつ親御さんには必ず読んでいただきたいと思ったのでご紹介させていただきます。
スポーツに限らず、育成の現場で本当に大切なことがたくさん書いてありました。
お時間ある方は、ぜひ元記事を読んでいただきたいのですが、この記事にあった毒親の3つのケースと、今の時代のスポーツ現場で最も大切なことご紹介したいと思います。
スポーツ界の毒親の“虐待”に苦しむ子どもたち
もくじ 毒親3つのケース ・過度な期待がプレッシャーへと変わっているケース ・親が自分のステータスのために子どもを利用しているケース ・保護者が指導者の虐待を容認しているケース 今の時代のスポーツ現場で最も大切なこと ・変わるべきは子どもではなく大人 ぼくが目の当たりにした虐待 まとめ
過度な期待がプレッシャーへと変わっているケース
まずは元記事から引用した本文をお読みください。
前述の2つの家庭の父親はともに有形の暴力はないものの、「先発じゃないならやめろ」などの暴言や、「プロを目指さないならやる意味がない」といったモラルハラスメントに気づけない。子どもにとって安全基地であるべき家庭が、息の詰まる場所になる。暴力と同等、もしくはそれ以上のダメージがあるはずだ。
引用元:Sport Graphic Number Web
これは子どもへの過度な期待がプレッシャーへと変わっているケースですね。
本来スポーツというのは、健康な心と身体を育むためのものです。
なのにスポーツが原因で夜眠れなかったり、家でリラックスできなかったりするのは本末転倒です。
このような親は「あなたのその過度なプレッシャーが子どもが本来の実力を発揮できない原因である」と気づくべきです。あなたが子どもの足を引っ張っているのです。
親が自分のステータスのために子どもを利用しているケース
元記事の本文はこちらです。
「チームを移って試合に出ていれば、その先で伸びる可能性はたくさんある。なので、お父さんたちに『(チームを)移って試合に出たほうが本人も楽しいし、伸びますよ』と話すのですが、ほぼ全員渋ります。強豪クラブにせっかく入れたのに、と言うわけです。親御さんたちが見栄を張りたいために子どもが犠牲になっているようにしか見えません」
引用元:Sport Graphic Number Web
親が自分のステータスのために子どもを利用しているケースです。
プライドの高い親の中には、どのチームに所属しているかにこだわる人もいます。
高い会費を払ってでも名門クラブに子どもを所属させたりします。
でもそのクラブの名前が欲しいのは誰ですか?
子どものためと言いつつ
「その高い会費を払える親」
「子どもに高い教育を受けさせるいい親」
という“いい親“という自分のステータスが欲しいだけではありませんか?
そのステータスが手に入れば満足。だから子どもの意思は関係ない。
保護者が指導者の虐待を容認しているケース
元記事本文はこちら
「一番びっくりしたのは、コーチがプレー中の子どもをベンチ前に呼び叱責していたことです。本当に驚きました。子どもは直立不動で、ハイ!ハイ!と返事をしていました。
〈中略〉
長く所属する高学年の保護者に「これってどうなんですか?」と恐る恐る聞いてみた。涼しい顔で「どの大会でも、いつもこんな感じですよ」と返された。クラブの保護者代表に入団辞退の理由を話すと「監督は子どものためを思ってやってるんだけど……」と困惑された。
男性は「保護者が麻痺していると感じました。暴言や理不尽な行いに親が同調している気さえしました」と憤りを隠せない。結局、息子に「この環境で君にスポーツをやらせたくないんだ」と親としての気持ちを話して、諦めてもらったという。
引用元:Sport Graphic Number Web
麻痺という言葉が使われていますが、これはとても怖いことです。
これは単純に指導者から子どもへの“虐待”が容認されているという怖さだけでなく、
その環境で育った子どもは“虐待”を“虐待”だと気づかないまま成長してしまうという怖さです。
もしかすると文中の保護者も感覚が麻痺しているのではなく、
自分が同じように“虐待”を受けてきた人で、それが当たり前なことだと思っている可能性もあります。
言ってしまえば、これが繰り返されてきたのが、これまでの日本のスポーツ界とも言えるかもしれません。
変わるべきは子どもではなく大人
親世代が受けた指導や子育てをそのまま踏襲してしまうと、今の子どもは伸びない。子どもを真ん中に、指導者と親が同じ方向を向いて取り組むのが重要だと思っている」
怒鳴って厳しくすることは昭和で美談だったかもしれないが、令和ではそうではない。不適切な言葉は、心理的な暴力、虐待と受け止めたい。
大事な子どもを成長させるために、保護者は時代の変化を学ぶべきだ。
引用元:Sport Graphic Number Web
大人の中には少なからず
「自分がしてきたことが正しい」
「自分が教わってきたことが正しい」
という考えを持っている人たちはいます。
もっとひどいケースは
「自分が辛い思いをしてきたのに、楽しそうにプレーするのが許せない」
という人もいます。
これは本人がそう言ったわけではないですが、潜在的にそういう考えが見え隠れする大人がいるということです。
しかしそれではもうダメです。
自分たちの過去を否定されて嫌な思いをする人もいるかもしれませんが、これらの事例は“虐待”だと認めるべきです。
人は当事者になることを嫌います。
自分が“虐待していた”“虐待されていた”と認めるのは簡単なことではないかもしれません。
ですが、これは受け継ぐべきでない日本スポーツ界の“負の伝統”です。
自分で自分の過去を否定することが未来のスポーツ界を変えていきます。
変わるべきは僕たち大人なのです。
ぼくが目の当たりにした虐待
記事の中で自分の子どもを所有物のように扱ったり、
自分(親)の見栄やプライドのために子を利用するという話もありましたが、ぼくも実際に目の当たりにしたことがあります。
2021年1月の記事ですが、ぼくがレッスン中に鉢合わせた親子の話です。
ぼくが書いた記事の中でも一番反響があった記事です。
全て事実です。もしお時間ありましたら、読んでいただけたらと思います。
まとめ
この記事は、一部の人からしたら信じられないような話しに見えるかもしれません。
ですが、日本の至る所で起こっている事実なのです。
しかも、記事にあるように保護者の感覚まで麻痺して、このような“虐待”が黙認されていると考えると、明るみに出ない“被害者”がもっと多くいると予想できます。
このように大きなメディアの記事になることで多くの人の目に触れます。
スポーツ現場の実態が公にされることで、世間の認識が変わり、“今の時代“の暴力、虐待が無くなることを切に願います。
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