東日本大震災をずっと“他人事“で生きてきた僕が今伝えたいこと

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明日で東日本大震災から10年です。

僕にとって東日本大震災は、長い間他人事でしかありませんでした。

当時高校生で福岡にいた僕は、揺れを感じることもなければ、余震に怯える日々を過ごすことも、あらゆる物資が不足して困るようなことも、計画停電で不便を感じることもありませんでした。

311日、部活を終えた帰りのバスで、ニュースを見て大変なことになっているということを理解はしたものの、被災地に親戚や知り合いがいるわけでもなく、特に何の実感もありませんでした。

高校を卒業後、東京に進学してきて、東京で被災した同い年の友人たちが、当時のことを話していても、漠然と「大変だったんだなぁ」と思うことが精一杯でした。

たくさんの人が被災し、亡くなって、とても大変なことが起きていたことは理解していました。ですが、心から何かを感じることはずっとできずにいました。

それからまた時が経ち、2018年。あるきっかけで東北の復興支援の野球教室にスタッフとして参加させていただきました。

震災から6年が経って初めて被災地に行く機会を得ました。

そこで目にしたのは頭をはるかに超える場所に記された津波の到達地点。更地になった元住宅街。綺麗に立ち並ぶ震災後に建てられた建物。震災のモニュメント。

現地の方に案内していただき、当時の経験談を聴かせていただき、それまで感じることのなかった感情を抱きました。うまく文字に起こすことはできませんが、現地でその土地の風を感じ、被災した方々と触れ合うことで、明らかにそれまで感じることのなかった何かを感じることができました。

そして僕は正直に今まで震災を他人事だと思っていたことを話し、謝罪しました。

すると皆さんは

「いいんだよ。今日ここに来てくれたじゃないか。来てくれてありがとう。」

と温かい言葉をかけてくれました。

復興支援で足を運んだはずの土地で、震災を他人事としか思えなかった僕は何か救われたような気がしました。

おそらく、それまで何も感じることのできなかった自分に対して、

「何も感じないということは人として欠落しているのでは?」

という不安があったのだと思います。

ですが、被災地を見て、感じて、被災した人たちの話しを聞いて、被災者の方々の痛みや苦しみをほんの少しだけですが感じることができたと思います。

被災した皆さんがその時に経験した恐怖や不安、絶望を僕が本当の意味で理解することはできません。

経験していない以上、自分の事として捉えることはできませんが、震災の爪痕を見て、被災した方々と触れ合って、少なくとももう他人事ではありません。

こう思えるまでにだいぶ時間がかかりました。被災地へ行くことで成長できた自分がいます。

2018年以降、毎年被災地へ足を運び、その時知り合った方々との交流は続けています。そしてこれからも続けていきます。

もし僕と同じように震災を他人事に感じている人がいらっしゃいましたら、ぜひ一度現地へ足を運んでみてください。今足りない何かを感じることができると思います。

最後に被災された方々に心よりお見舞いと被災地のさらなる復興をお祈り申し上げます。

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