ひと時の「快感」か、負けて身につける「技術」か

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性能のいいバットが開発されることを素直に喜ぶだけでなく、そこから生まれる副作用にも目を向けるべきではないでしょうか。

こんばんは!かたやまかずさ(@wataridorich)です。今日は問題提起をさせていただきます。

各メーカーがしのぎを削り、高性能のバットが次々開発され、今や「お金で飛距離が買える時代」と比喩されるようになりました。

誰でもホームランが打てるようになった反面、野球教室で行った地方で少年野球では「バット格差」が起きていると言う現場の声を聞きました。

「お金があるチームが勝てる」

「裕福な家庭の子が打てる」

これは、果たしてスポーツとして本来あるべき形でしょうか。

また高性能バットの恩恵を受ければ受けるほど、次のカテゴリーで苦労する可能性があります。

現に僕がドイツで教えているの子たちもそうです。大きな身体に高性能バットはまさに鬼に金棒。バットにボールが当たれば簡単にホームランを打つことができ、誰の旧世代のバットを使おうとしません。

そして親も道具のせいで負ける我が子を見たくないからより良いものを買い与えるようになります。

「性能」に頼ることで「技術」が身につかないのをここ数年で目の当たりにしています。

僕は企業の努力を否定するつもりは全くありません。

要は使い方です。

大会やリーグで使用していいバットを制限したり、運営が用意したバットを両チーム共使うなど「性能の恩恵」を受けるならみんながその恩恵を受けれるようにしたら、スポーツとしての本質は保たれるのではないかなと思います。

同じテーマで、今朝のPodcastでも話しました。そちらも聴いていただけると嬉しく思います。

Wataridori’s radio #4 性能が良すぎるバットで起こる格差はスポーツの本質を見失わせる可能性がある』

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